家づくりのきっかけは何ですか?
四十年以上住み馴れた関西の地、歴史と文化に恵まれ、常に日本の中心として栄えた地を離れて娘が、遠い北国の地に住むことを決心したのは、およそ三年前です。
それ迄、夫婦二人で幾度となく話し合い、二人共、心はゆれ動きました。この間、何度となく、この北海道を訪れましたが、来る度に、その雄大さと清々しさに心を引かれました。北海道移住を考え始めた頃、清水町の役場に行き相談をしました。その時、紹介していただいたのが秋島さんでした。
秋島建設に依頼する決め手となったのは何ですか?
清水町の活性化の為、移住者・定住者を増やそうと走り廻っている方とお聞きしました。秋島さんは役場でお聞きした通りのとても親切な方でした。
定住の為の土地さがし、借家の紹介等々、私達の希望を入れ労をいとわず案内していただきました。その時の氏の誠意ある対応が後々まで、私達と氏の絆を固めたと思っています。
定住地の候補地はいつくかありました。私達は、年をとってからの生
活のイメージ、どんな環境下でどの様な生活をし、終の住家とするのか、色々考え、迷っていました。不便な自然の中で畑をたがやし、ゆったりと暮らすのか、豊かな自然に囲まれながらも、体が動かなくなった時を考え、最後まで住み続けられる便利な場所にするか、行きつ戻りつを繰り返していました。そんな中で、現在の住宅地が大きく私達のイメージの中に浮上して来ました。家庭菜園をするのに充分な広さを持ち、前に川が流れ、その先に公園、日高の山々等自然に囲まれ、駅やスーパーにも近いという好条件が、住まいをここにする決め手となりました。
住宅の設計・工事の過程で、どう思われましたか?
私は、六十四才まで設計事務所勤務で、建築の設計を主な仕事としていましたが、公共の建築や福祉施設、工場等大型の建物が主で、住宅はほとんど素人と言えますが、自分の家ですから、自ら設計を行い建てたいと考えました。それに対し、秋島さんが、工事をやる立場から私の慣れない住宅設計(特に北方型住宅)に我慢をしながらついて来ていただき、時には適切なアドバイスをしながら建物を完成していただけるかどうか、心配でしたが、しばらく話を進めて行くうち、これなら充分対応していただけると確信しましたので、工事をおまかせしましょうと決心しました。
設計者というものは、考えを深く、広くめぐらしますので、基本的な方向性は変えませんが、その表現方法はよく変更します。従来のやり方を無視したり、変えたがることもあります。新しいものにチャレンジしたがる傾向もあります。又納得しない事柄に対し、とことん追求し、合点しない限り受け入れない。自分の考えや思いを強引に押し進める、等のこともあります。そういう設計者のワガママを心よく受けとめ、コストバランスを考えながら対応していただいたのは、秋島さんの建築に対する長い経験と真摯な姿勢、施主に対する誠実さの現われでしょう。
実際に住んでみてどうですか?
建築の設計も施工も、常に問題点の洗い出しと、それとの戦いの連続です。特に少し新しいもの、経験のないもの、特異なものに挑戦する時は、懸命の勉強と不断の努力、それにチャレンジ精神が不可欠です。そして、この仕事を共に行う間、常にこの気持ちを持ち、充分答えていただいた秋島さんには、感謝の念で一杯です。もちろん住宅に限らず、全ての建築には、完璧というものはありません。どこかに未完成な部分、不十分な部分を持ち、反省点も多々あるのですが、今、完成した「我家」に住んでみて、「アゝ、これでいいんじゃないか。ウン、住み心地良し、皆様にお見せできるいい家になったナァ」と満足の行く日々を送っています。
これからのことで何かありましたらお願いします。
家は「建物」を建てただけでは完成しません。これから南側のペケレベツ川や公園、日高の山々等をとり込み、まわりの環境をゆっくりと整えてから、理想の「住宅」へと近づけて行きたいと願っています。